大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和38年(モ)3197号 判決

判   決

大阪市南区鍛治屋町五十七番地

申立人

株式会社中村多喜弥商店

右代表者代表取締役

中村政三

東京都千代田区神田紺屋町四十一番地

申立人

太田興業株式会社

右代表者代表取締役

太田茂

右両名訴訟代理人弁護士

長戸路政行

吉田朝彦

尼崎市生津字武庫之荘二百九十八番地

被申立人

安田誠一

右訴訟代理人弁護士

渡辺曻治

錦織懐徳

右輔佐人弁理士

岸本芳夫

右当事者間の昭和三八年(モ)第三、一九七号仮処分取消申立事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件申立は、いずれも却下する。

訴訟費用は、申立人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

申立人ら訴訟代理人は、「東京地方裁判所が昭和三十七年九月十日、同裁判所昭和三七年(ヨ)第二、三六一号仮処分命令申請事件についてした仮処分決定は、申立人株式会社中村多喜弥商店において、金三十万円、同太田興業株式会社において金五万円の保証を立てることを条件として、取り消す。訴訟費用は、被申立人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被申立人訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二  当事者の主張

一  申立人らの申立理由

申立人ら訴訟代理人は、申立の理由として、次のとおり陳述した。

(一)  被申立人は、申立人らのした別紙物件目録記載の構造を有する戸車用レール(以下、本件戸車用レールという。)の販売、譲渡、貸渡およびそれらのための展示が、被申立人の有する登録第四九六、〇九〇号の実用新案権を侵害するとの理由で、申立人らを債務者として、東京地方裁判所に仮処分命令の申請(同庁昭和三七年(ヨ)第二、三六一号)をし、同裁判所は、右申請にもとずき、昭和三十七年九月十日、「一 債務者両名は、別紙物件目録記載の構造の戸車用レールを業として販売、譲渡、貸渡並びに販売譲渡貸渡のため展示してはならない。二 前項に記載する物品に対する債務者株式会社中村多喜弥商店の占有を解いて、債権者の委任する大阪地方裁判所の執行吏にその保管を命ずる。」との仮処分決定を発した。

(二)  本件仮処分については、次のようなこれを取り消すべき特別事情がある。すなわち、

(申立人らの蒙る損害)

(1) 申立人株式会社中村多喜弥商店(以下、申立人中村商店という。)は、伊永健吾と提携し、同人の製造する本件戸車用レールの販売総代理店として、その製品を一手に販売することとし、伊永健吾は、本件戸車用レールの製造について、その芯体製造の作業は石井勘株式会社に下請けさせ、芯体にビニールを塗着する作業はみずから行うほか、香西雅文、菊川一松および株式会社大協に下請けさせることとしたが、伊永健吾は資金が乏しかつたので、同人の前記事業を援助するため、申立人中村商店において、

(イ) 大阪府河内市花園駅前の土地六十坪および建物を、保証金百二十万円を差し入れ、賃料一カ月金三万五千円で借り受け、その機械および動力設備に約八十七万円を支出し、

(ロ) 大阪府河内市鴻池千二百九十一番の三宅地四十四坪を金百十万円で買い受け、

(ハ) 株式会社大協(申立人中村商店の子会社)が、大阪市生野区猪飼野中四丁目所在の工場を金四百五十万円で買い受けるについて保証し

たほか、伊永健吾が本件戸車用レールの製造に関して負担するすべての債務について連帯保証をした。

このようにして、申立人中村商店は本件仮処分当時、本件戸車用レールを一カ月に約百万本販売する計画を樹立し、現に申立人太田興業株式会社(以下、申立人太田與業という。)から五十五万本、その他東京都内および大阪市内の業者から約四十万本の注文を得ていたところ、その矢先、本件仮処分をうけたので、申立人中村商店は、次のような損害を受けるに至つた。すなわち、

(イ) 金七百七十万円に近い営業資金が凍結した。

(ロ) 遊休化した前記物的施設の維持及び経済的に余力のない前記下請業者に対する経済的援助に多額の費用を要した。

(ハ) 計画どおりに本件戸車用レールを毎月百万本の割合で販売したとすれば、その利益は、一本につき金一円五十銭、毎月金百五十万円であるから、同額の得べかりし利益を失つたこととなる。

(2) 申立人太田興業は、前記のように、申立人中村商店に対し本件戸車用レールを五十五万本発注し、本件仮処分当時には、すでに、これを建築金物商に転売すべく、その注文をうけていた矢先、本件仮処分を受け、甚大な損害を蒙つた。

(3) 申立人両名は、本件仮処分により、得意先との本件戸車用レールの販売契約を取り消さざるをえなくなつたばかりでなく、被申立人が、本件仮処分を利用して、教種の業界紙に「登録実用新案ビニテツ実用レールの模造品について」と題する広告を出し、また、同様趣旨のパンフレツトを全国の同業者に配布したため、同業者に申立人らが他の商品についても粗悪な模造品を販売するような悪徳な商人であるとの印象を与えるとともに、申立人らの販売する商品は本件戸車用レール以外のものも危険で買えないとの不信の念を抱かせ、申立人らの商人として最も重要な信用は大きく毀損された。その結果、本件仮処分前には月額五百万円ないし六百万円であつた申立人中村商店の全戸車用レールの販売高は、仮処分後においては約二百万円程度に減少した。

(金銭補償の可能性)

(4) 伊永健吾は、登録第五七〇、〇〇九号の実用新案権者であり、その実施として本件戸車用レールを製造し、申立人らは単に伊永健吾の製造した本件戸車用レールを販売したにすぎない。したがつて、かりに右登録実用新案が被申立人のそれを利用するものであるとしても、伊永健吾は自己の登録実用新案を実施するため被申立人の実用新案権について通常実施権の設定の裁定を求めうる地位にあり、被申立人と伊永健吾との関係は、結局は実施料の問題に帰するのであるから、本件仮処分によつて保全されるべき被申立人の権利は、金銭的に補償しうるものである。

(三)  以上のように、本件仮処分によつて申立人らの蒙るべき損害は異常に大きく、他方、本件仮処分によつて保全せらるべき被申立人の権利は金銭的補償が可能であるから、保証を立てることを条件として、本件仮処分決定の取消を求める。

二  被申立人の答弁

被申立人訴訟代理人は、答弁として、次のように陳述した。

(一)  申立人ら主張の申立理由のうち、前掲(一)の事実、(二)の(3)の事実のうち被申立人が「登録実用新案ビニテツ実用レールの模造品について」と題するパンフレツトを同業者に配布したことおよび(二)の(4)の事実のうち伊永健吾が申立人等主張の実用新案権者であることは認めるが、その余はすべて争う。

本件仮処分当時における本件戸車用レールの取扱量は、申立人中村商店においては、その全営業の僅か一パーセントにも及ばず、申立人太田興業においても二パーセントを出ない状況であり、単に申立人中村商店において一カ月に約百万本を販売する計画があつたというだけで、申立人らが甚大な損害を受けたとはいえず、また、被申立人が申立人ら主張のような新聞広告をし、パンフレツトを同業者に配布したのは、被申立人の有する実用新案権と経済上の利益を守るため、自衛上採らなければならなかつた緊急手段である。のみならず、伊永健吾は、同人の有する前記実用新案権について、その出願中である昭和三十五年七月八日、特許庁長官から、当該考案は先願にかかる被申立人の前記登録実用新案を利用しなければ実施できないものと認められるから、考案相互の関係の項を設けて実施の態様を記載すべき旨の訂正指令をうけており、また、被申立人は、昭和三十七年七月下旬から同年八月上旬にかけて、前後四回にわたり、申立人中村商店に対し、伊永健吾の前記実用新案権は被申立人の前記実用新案権を利用しなければ実施できないことを理由に、本件戸車用レールの販売を中止するよう申し入れ、申立人らがその販売に着手する前に、同人らが不測の損害を蒙ることがないように十分の措置を講じた。したがつて、申立人らが本件仮処分によりある程度の損害を蒙つたとしても、それは申立人らがみずから招いたものである。

伊永健吾が有する申立人ら主張の実用新案権が被申立人の前記実用新案権を利用するものである場合においても、伊永健吾に通常実施権を設定することは被申立人の利益を不当に害することになるから、特許庁長官は当該通常実施権を設定すべき旨の裁定をすることができない。かりにできるとしても、伊永健吾が現実に実用新案法第二十二条の規定による裁定の請求をしていない以上、伊永健吾が申立人らの主張する地位にあるというだけで、本件仮処分によつて保全される被申立人の権利が金銭的に補償しうるものということはできない。

(二)  被申立人は、本件仮処分命令が取り消されることにより、次のような損害か蒙る。すなわち、

(1) 被申立人は、登録第四九六、〇九〇号の実用新案権について、安田レール株式会社、株式会社二藤商店および浜国レール株式会社に通常実施権を設定し、現在レール一本について金一円の実施料を取得しているので、申立人らが本件戸車用レールを一カ月に百万本売り、被申立人の権利実施品の売上がその数だけ減少すれば、被申立人は一カ月に金百万円のうべかりし実施料を失い、

(2) 被申立人は、安田レール株式会社の代表取締役であると同時に、その過半数の株式を有する大株主であり、安田レール式会社は、現在被申立人の権利実施品を一カ月に平均八十万本売り上げ、それによる利益が金二百二十二万円であるから、申立人らが本件戸車用レールを一カ月に百万本売ることにより安田レール株式会社の戸車用レールの売上が四十万本に減少したとすれば、同会社は毎月金百十一万円の得べかりし利益を失い、その結果被申立人は相当額の株主配当および重役報酬を喪失し、

(3) 被申立人の権利実施品が現在一本金十八円五十銭で売られているに対し、申立人らが本件戸車用レールを一本金十六円で売ることになれば、被申立人の権利実施品も対抗上一本金十六円に値下げを余儀なくされ、被申立人の取得すべき実施料も当然値下げされることになり、さらに競争が激化すれば、被申立人の権利実施品の名声は失墜し、市場は混乱して、被申立人は金銭では補償することのできない損害を蒙るに至り、

(4) さらに、以上のような経済的損害のほかに、被申立人は昭和三年以来引き続き三十数年にわたり、主として戸車用レールの製造販売に従事し、その間精神上物質上多大の苦心と犠牲を払つて戸車用レールの改良に努め、前記登録実用新案を考案したのちは、当時業界で悪評を買つていたオールビニール製戸車用レールとの差異を強調する普及宣伝と品質の維持に努力して、漸く今日の名声を得るに至つたのであるから、申立入らが粗悪な品質の類似品を安価に売捌くことにより、被申立人の権利実施品の名声が失墜し、その市場が混乱することは、被申立人にとつて堪えることのできない精神的苦痛をもたらすものである。

(三)  したがつて、本件仮処分には、これを取り消すべき特別事情があるものということはできない。

第三  疎明関係≪省略≫

理由

(争いのない事実)

申立人らを債務者、被申立人を債権者とする東京地方裁判所昭和三七年(ヨ)第二、三六一号仮処分命令申請事件について、同年九月十日、申立人らの主張のような内容の仮処分命令が発せられたことは、当事者間に争いない。

(特別事情の有無について)

一  申立人らは、まず、本件仮処分によつて申立人らが異常な損害を蒙るから、本件仮処分は特別事情があるものとして取り消さるべきである旨主張する。しかして、<疎明―省略>を総合すると、申立人中村商店は、昭和三七年五月ころから同年六月にかけて、伊永健吾、石井勘株式会社、香西雅文、菊川一松および株式会社大協らと協議して本件戸車用レールの製造および販売の計画を進め、その製造設備として、大阪府河内市花園駅前の土地六十坪および建物を、保証金百二十万円、賃料一カ月金三万五千円で賃借し、また同所で使用する機械および動力設備を代金八十万円で、同市鴻池千二百九十一番の三宅地四十四坪を代金百十万円でそれぞれ買い受け、合計金三百余万円の資金を投下したこと、伊水健吾は同年七月、本件戸車用レールの見本の製作にとりかかり、同年九月には商品として製造を開始し、下請業者である香西雅文は当時一日平均三千本程度の本件戸車用レールを製造していたこと、本件仮処分により、これらの本件戸車用レールの製造、販売は中断され、さらに、申立人中村商店は約百二十万円相当の本件戸車用レールの製品、半製品および原材料のデツドストツクを抱えるに至つたこと、被申立人の有する登録第四九六、〇九〇号の実用新案権の通常実施権者である安田レール株式会社、株式会社二藤商店および浜国レール株式会社が、昭和三十七年九月二十一日付大阪商工金物新聞、同年十月五日付日本金物新聞および同月十一日付中央金物新聞に、「登録実用新案ビニテツ実用レールの模造品について」と題し、「このたび東京地方裁判所より申立人らに対し本件戸車用レールの販売禁止の仮処分決定があり、申立人らの模造品の販売は法によつて禁止された旨」のほぼ半頁大の広告をし、また、右通常実施権者および被申立人の連名で右と同様の内容のパンフレツトを作成し、これを全国の多数の同業者に配布したため、これにより申立人らの信用が少からず毀損されたこと(但し、申立人中村の戸車用レールの販売高が同申立人主張のように激減したことを認めるに足る疎明はない。)。を一応認めることができるが、ひるがえつて、被申立人側の事情をみるに、<疎明―省略>によれば、被申立人は登録第四九六、〇九〇号の実用新案権について、安田レール株式会社、株式会社二藤商店および浜国レール株式会社のみに通常実施権を与え、東洋棉花株式会社を販売総代理店として安定した販売網をもち、安田レール株式会社および株式会社二藤商店からはレール(二メートル以下のもの。以下同じ。)一本につき金一円、浜国レール株式会社からはレール一本につき金一円四十銭の実施料を得ていること、被申立人は安田レール株式会社の代表取締役であると同時に、過半数の株式を有する大株主であり、重役報酬のほか一事業年度に券面額の一割相当額の株式配当を得ていること、したがつて、本件仮処分による保護が得られず、申立人において、自由に本件戸車用レールを販売することとなれば、被申立人が前掲通常実施権者から受ける実施料ならびに安田レール株式会社から受ける重役報酬および株式配当が減少するのみでなく、被申立人の権利実施品が現在一本金十八円五十銭で売られているに対し、本件仮処分当時申立人らは本件戸車用レールを一本金十六円で売つている実情であるから、被申立人の権利実施品もそれとの対抗上、ある程度値下げをしなければならず、さらに販売競争が激化すれば、被申立人の実施品の前記販売網が混乱することは見易いところであること、および被申立人は永年戸車用レールの製造販売に従事し、その経験を基礎に本件実用新案を考案し、その後も多大の努力を払つて漸く今日の名声を得るに至つたことを一応肯認することができ、これらの本件当事者双方に存する利害を比較考量すると、申立人らにおける前記損害は、いまだ本件仮処分決定を取り消すべき事由に当るものとはいい難く、他にこれに当る異常な損害があると判断すべき疎明はない。したがつて、申立人らの前記主張は採用しない。

二  申立人らは、本件仮処分によつて保全せらるべき被申立人の権利は、結局金銭的に補償しうるものであるから本件仮処分を取り消すべき特別の事情がある旨主張するが、かりに伊永健吾の有する登録第五七〇、〇〇九号の登録実用新案が被申立人の本件登録実用新案を利用するものであるとしても、実用新案法の規定により通常実施権の設定の裁定を求めうる地位にあるのは伊永健吾であり、しかも、このような裁定を求めたことを認むべき資料のない本件においては、被申立人の権利が、申立人らの関係において、結局金銭的に補償できるものであるということはできず、他に申立人らの前示主張事実を肯認するに足る疎明はないから、申立人らの右主張も採用することはできない。

(むすび)

叙上のとおり、申立人らの挙示援用するすべての疎明によつても、本件仮処分決定を取り消すべき特別の事情があることを肯定することはできない。したがつて、申立人らの本件申立は理由がないものといわざるをえないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条本文の規定を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二十九部

裁判長裁判官 三 宅 正 雄

裁判官 白 川 芳 澄

裁判官 佐久間 重 吉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例